歴史
その後、昭和18年の学徒動員など戦乱の中、昭和20年4月の空襲により戸山ケ原寮が焼失する激動の時代を迎えましたが、関係者の努力により7年後には東五軒町の病院を改装した第2世代の「北海寮」を再建いたしました。
しかし、在京の大学に学ぶ学生が年々多くなり、東五軒町の寮では手狭となったため昭和31年に収容人員120人(増築後)の第3世代の「北海寮」を練馬区石神井台(当時上石神井)に建設しました。
この第3世代の石神井寮も設備の老朽化が進み、昭和51年2月に大改修を行いましたが、その後も経年劣化による老朽化が進み、平成5年に全室個室(72人収容)、冷暖房完備の近代的な現在の「北海寮」を建設するに至りました。
「北海道在京学生会」は、在京の大学に学ぶ学生が飛躍的に増加し、時代の風潮とともに学生会そのものに対する関心が薄れ、徐々にその存在意義も希薄となって、在京学生の後援事業は「北海寮」の運営と寮生の育英という事業に変遷して今日に至っております。
この間、「北海寮」を卒寮した学生は1,700人を超え、実業界、官公庁に有為な人材として各界で活躍しております。
現在、公益財団法人北海道在京学生後援会および北海寮の運営は、これら卒寮生および関係者のご支援により支えられております。
公益財団法人北海道在京学生後援会・北海寮の礎
大久保偵次 | 理事長 | (大蔵省銀行局長) | 昭和8年~昭和44年 |
土居通次 | 常務理事 | (徳島県知事・室蘭市長) | 昭和8年~昭和27年 |
大澤竹次郎 | 常務理事 |
(東京高等農林学校教授・ 麻布獣医科大学学部長) |
昭和8年~昭和44年 |
今野三治 | 常務理事 | (栗林商船顧問) | 昭和8年~昭和44年 |
下平 尚 | 理事 | (東京医科大学教授) | 昭和8年~昭和15年 |
岡村千曳 | 理事 | (早稲田大学教授) | 昭和8年~昭和38年 |
武富英一 | 理事 | (大倉土木会長) | 昭和8年~昭和23年 |
片岡隆起 | 理事 | (大日本麦酒社長) | 昭和8年~昭和15年 |
石山茂太郎 | 監事 | (東京高等農林大学教授) | 昭和8年~昭和11年 |
岩井久吉 | 理事 | (中井製作所) | 昭和8年~昭和11年 |
小林克己 | 理事 | 昭和8年~昭和23年 | |
栗山禮而 | 監事 | (三菱海上火災) | 昭和8年~昭和26年 |
北原金司 | 監事 | (高崎経済大学学長) | 昭和12年~昭和44年 |
野口喜一郎 | 理事 | (合同酒精会長) | 昭和12年~昭和20年 |
増井 進 | 理事 | (弁護士) | 昭和12年~昭和16年 |
成田 努 | 理事 | (中央食糧営団総裁) | 昭和18年~昭和20年 |
室谷彌左右 | 理事 |
(室谷病院長) ※昭和45年から第2代理事長 |
昭和23年~昭和56年 |
鹿内信隆 | 理事 |
(フジテレビ社長・ニッポン放送社長・ 産経新聞社長) |
昭和23年~昭和44年 |
栗山健吉 | 理事 | (朝日証券社長) | 昭和26年~昭和44年 |
西野禎治 | 理事 | (北海道倶楽部常務理事) | 昭和29年~昭和44年 |
大竹敬太郎 | 理事 | (山形屋旅館社長) | 昭和29年~昭和30年 |
太田 剛 | 理事 | (苫東開発総裁・東洋電機製造社長) | 昭和29年~昭和44年 |
永田昌綽 | 理事 | (北海道倶楽部理事長・北海道曹達社長) | 昭和29年~昭和44年 |
栗林徳一 | 理事 | (南方林業会長・北海道漁業公社総裁) | 昭和29年~昭和44年 |
阿部謙夫 | 理事 | (北海道新聞社長・北海道放送社長) | 昭和29年~昭和44年 |
岸 道三 | 理事 | (日本道路公団総裁) | 昭和29年~昭和44年 |
東海林武雄 | 理事 | (日本専売公社総裁・旭電化工業社長) | 昭和29年~昭和44年 |
広瀬経一 | 理事 | (北海道拓殖銀行頭取) | 昭和29年~昭和44年 |
土方省吾 | 理事 | (服部貿易取締役) | 昭和29年~昭和31年 |
北浦延治郎 | 監事 | (札幌南高等学校長) | 昭和29年~昭和44年 |
谷 脩治 | 監事 | (函館太洋倶楽部理事長・函館倉庫社長) | 昭和31年~昭和32年 |
小間 登 | 監事 | (ミクロ工業社長) | 昭和33年~平成元年 |